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生きる前に恐怖とつきあう [恐怖]

この世の憂鬱から 逃れたい時に  

僕らは  清冽さを 求めるのだろうか  

恐怖に 打ち勝ちたい時に  知らず  

なにかに  身を寄せたい、と  

そうして  僕らが 神や 信仰を生んだのなら  

それを 否定できる根拠は どこにあるのだろうか  

それは わからない世界のことを 尋ねるようで  

こころもとないが  

その理由が 僕であっては いけないのだろうか  

生きて  生きている時だけが あるのは  

生きているから   

それを 知るのも  感じるのも  

生きている という  Now  

どこかの中点ではなく   全点である コマのように  

回りながら  広がり続ける   

それは  追いかけているのが  僕らの意識だからで  

あったりする   

広がる  意識   

広がれ  心  

そうなのだ   

まず  恐怖を  打ち破らなければ   

これから  生きるために   

死に損なった  岩場へ行って  

そう  ダイブしよう    

怖いけれど  海に 引っ張られる という  

根拠のない  不安に  取りつかれてしまう前に   

するべきことを   

一番したくないことを   

やろう   

できるか、とか  考える自分ではないのは  

よく 知っている   

暗闇の 堤防から 眼をつぶり  

歩いて  

5m下の 海に落ちたのも  

僕だった   

そのあと  また 目をつぶって  

堤防を  目標まで  歩いたではないか  

その恐怖の  わかりやすかったこと!  

真っ暗  真っ黒  ということ  

見えない  わからない  ということに  

過ぎない  

ただ  足がすくむ  その先に足場がなく 見える(思える)

ここが堤防の上だと  わかりきっているはずなのに    

考える    また 堤防から落ちたら!  

心配ない  死にはしないから  (なんだ、そうか)

今回も  たぶん   同じだ  

もっと 楽   

眼を開いて  飛ぶんだから  

ほら   

 

*昨日、病院で額の抜糸をした。3針だった。チクンと2,3回ものの10秒

くらいで終わり。あっけなかー(ここの方言?)。

額は楽だったが、膝はまだ半分曲げるのがいいところ。これでは岩場へ行けず。

時間を見つけて、堤防から5m下の海へ飛び込みたい。いかに?

IMGP0007.JPG

三角の島。これは少し遠い。位置ではその島のすぐ下に見える、海に突き出たのが、

その堤防。
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島で大事件 2. [事件]

台風15号である。神奈川の座間は直撃コースだったが、直前で千葉のほうに

反れたので助かっているが、中学同期の友人の家がまさに木更津付近で、

大直撃だった。仲間から今朝電話があって連絡したが、つながらないと。

携帯のほうにかけてみてくれ、と。そうしたら、例の「電波の届かないところに

いるか、電源が切れている」とのメッセージ。停電だけでなく、携帯のアンテナ

まで被害に遭っているのだろうか。少し心配に。昨日まで自分の体の世話で

いっぱいだったので、座間の家以上に気が回らなかった。しかし、彼の千葉の

家は台風で壊れるようなやわな家には思えない。大丈夫だろう、明日連絡

してみよう。  


どこまで詳しく書いていいのか、あまり冗長にならないようにして、途中、読み

飛ばしもできるようにして書いてみようと思う。  

まずその日、6日だが、空気はぬるい風が吹いていて、台風13号の接近を

感じさせていた。来るのは晩からだし、天気はいいので泳ごうと思った。

この時変な予兆があった。「赤と黒」を書いた知事で作家のスタンダールは

前兆を気にする男で、確か赤と黒の中でも長めの文で前兆について書いて

いた。

忘れものをしたのだ。ふつうは取りに帰ってそれで済む。ところが、その次も、

またその次も取りに戻る羽目になる。もうずいぶん以前だが、3回忘れものを

したら、行かないほうが良いという予兆だから、出かけるのを一時中止する

という規則を考えたことがあった。もう忘れていたが、ほんの意識で少し

おかしいとは感じた。が、すぐに打ち消した。ともかく泳ぎたかった。  

いつもの岩場の入り江に行くのだが、スリッパのゴムサンダルを履いていった。  

もっとも足が固定されず、スリッパの底面が滑りやすいやつだ。  

カメラを持って行って、ブログ用に海に入るところを撮影した。   

IMGP0002.JPG

平和な絵だ。このあとのことがなければ・・・。   

カメラの電源を切ろうとして、岩場をカメラに近づいて行こうとして、  

アクアメガネを外していた、あっと踏み外したのがわかった。体勢が  

崩れ、体の重心が海側に引っ張られたからだ。目の前に太い枝と

細い枝の二股が見えた。すかさず手を伸ばして掴んだが、太いほうまで  

届かず、細いほうを、しかも枯れていてポキッと折れ、手の中で木片も  

砕けた。そのままでは、と思い体を左にひねり、海に正面を向こうと  

したらしい。たぶん、その時には落ちてゆく途中だったのだろう。正面を

ひねった体勢で向いた時に、岩で額を、すぐに顔面を打った。そして、また  

すぐに左膝に衝撃があった。この時、意識が変わった。いわゆるアドレ

ナリンモードというやつだろう。超集中モードになった。ああ、やったな、

とかのお気楽な感想は一切しない、できない。

その衝撃で多少はからだがバウンドしたかどうか、まったくわからない。  

海にザブンッと浸かった感覚。頭と膝の痛みの感覚。なにも見ていなかった。

見ているものを意識する暇がなかったのだろう。映像感覚はともかく海から

上がらねば、という海面から見えた岩場からはじまった。  

体の傷から想像すると頭と膝を打ってから、右のめりになって海中の浅い

岩に右腕と右脇腹をこすりながら、海の中へ滑っていったらしい。  

岩場にどうやって登ったか記憶がなく、がむしゃらに登ったのだろう、右腕に

海へ滑っていった傷と、登った傷とで縦と横に数十か所できていて、○と×で  

桝に3っつ並べるゲームならできそうである。  

まず死に至る関門のひとつを乗り切った。頭を強く打って、気絶もしなかった  

のは意識の切り替えを普段からしていたからだろう。海に落ちて目覚めたの

かも。  

次は第2関門。  

岩場に上がってから、眼の脇から、鼻の脇、顎からと、流れるぬるい液体を

感じて、すぐに血だ、と。膝はひどい。いくつも小さな穴が開いているようで  

岩の砂粒のようなかけらがいくつもはいっているだろう。そして、足が切り傷が  

ひどいので、血に染まっている。見ると足もとも額から流れる血で岩場が血に

染まっていった。「まず、血を止めないと」出てきた言葉はそれだけ。  

その時、出血多量の場合死に、という考えがチラッと。気が弱まる。気持ちが  

ふわーっとしはじめた。意識を失う、とその直前ですぐに気を取り直す。体の

どこか、気持ちのどこかに力が入る。  

右手を額に、左手の平を左足膝に当てて、手当てをはじめた。これは僕が

知っているたぶん、手当ての語源じゃないかと思うが、手の平から気が流れる

のは気功師が使うのでよく知られている。僕もこれがこういう非常時に使える  

ので、考えずにやっていた。そうしたら、短時間だろう、ドクドクと流れるようにも  

感じた血が止まった。速いので、少しの驚きを交えて、血の付いた手を岩の  

水気にこすりつけると、なにしろ携帯を持ってきていないので、大声出しても  

誰にも聞こえない、見えない岩場、帰り支度をはじめた。  

見ると、掴まろうとして届かなかった太い枝があった。掴んでみると簡単に  

折れてしまった。同じだったのだ、落ちるしかなかった。   

急がなければ、と思った。頭を打っているので、いつショック症状が来るか  

わからない。ここで倒れたら、アウト。野球じゃないから、次の回はない。   

岩場は三点歩法でしっかり体を支えた。岩場を抜け、防波堤の護岸から  

この足では5分歩かなければならない。しかたない、足を引きずりながら、  

家にもどった。   

考えた。知人に電話して病院へ運んでもらうか、タクシーを呼ぶか、救急車  

を呼ぶか。近くの知人に連絡するが、出ない。意外に留守だった。それで  

少しだけ、タクシー?と思ったが、それともこのまま自分で家で治療してみる

か、と危ない考え。しかし、頭を強打している、すぐに救急車に決めた。

救急車に随伴して乗ったことはあるが、当事者としては、ない。急にこういう

場合に病院に着くまでにどれほどの処置をするのか、見てみたくなった。

それには申し分ない状況だった。で、119へ。  

海パンが濡れていたので、簡単に血を拭いて、上下とも脱ぎやすいTシャツ  

と短ズボンに着替えた。あとは、健康保険証や財布、昼飯前なのでカステラ  

3個、水とカメラを準備した。カメラは記念撮影用だ。転んでもただでは起きない

タイプらしい。(笑)

サイレンが聞こえたが、ここまで入って来ない。入り口の公園あたりで停めた  

ようだ。車輪のついた、なんと言うんだろう、体を寝かせて運搬する押し車を  

伴走して3,4人で来た。まず状況を簡単に聴かれ、赤いビニカバーの人ひとり

寝られる板に寝かせられる。頭を打っているので早めに頭を固定させたいらしい。

ヘッドギヤのようなものがつけられ、もう横に向けない。その間にもどこが痛いか

で、ひとつひとつチェックしていく。あちこち体を押さえて、痛いかどうか聞く。

道が凸凹なので、救急車に着くまでは相当揺れた。スピードも必要で、ゆっくりと

いうわけにはいかないから、誰でもこんな扱いを受けるのだろう。意識が嫌に

なるほどはっきりしていた。救急車が曲がると、あの辺を曲がったのだろうか、

と想像した。その間も傷口をひとつひとつ洗い流す。摺り傷はひどく沁みるが、

額と左ひざは傷の痛みのほうが強く、液体の流れる感じだけ。  

病院に着くと、病院用のカートに板ごとよいしょっと移される。TVのドラマなどで

よく観るが、その時の想像の感じと同じ。そのまま緊急治療室へ。

喉が渇いて、なにしろもう3時間くらいは水分を摂っていない。救急車の中でも

「気分悪くありませんか」と聴かれて、

「喉が渇いた」と答えた。若い女性医師がインターンなのかどうか、あれこれ

指示していたが、病院では男の医師に代わった。CTをとる。ヘッドギヤは

外されず、ともかく首の内部損傷を気にしていた。首を曲げて骨が折れると、

あと肩から下半身が不随になる、とも脅された、事実だが。CTの結果が出る

までは頭の固定具はそのままなのだろう。水が飲めない!

しかし、点滴をはじめた。鎮痛剤が含まれるらしいが、これで水分の補給が

できて、のどの渇きも緩和される。  

面白かったのは、傷口などを洗い流す際に落ちる水分をどうするかというと、

オムツをあてがうことだ。大人のオムツを肩や首の下など、腕を洗う時は

その下に敷く。

「そういう使い方があるんですね」と言うと、大人のオムツは吸収性がよくて

(便利なんです)、とか答えていた。ともかく首は固定しているので、天井を

向いたままの会話だ。  

右腕は擦り傷がひどく、どうやったらこんな傷ができるんだという、縦横の

桝ができた傷だった。洗うと、非常に沁みる。我慢してもいいのだが、それ

なりに伝えないと、医者も体の状況がわからないだろうと、ひどく沁みる、と

痛そうに言った。

IMGP0005.JPG

<どう見ても痛そう>

手首を洗っていて冷たくて気持ちいいので、「気持ちいい」

聴かれてそう答えたら、看護士が笑う。医者はこれが痛くないですか、と言うと

石が入っていると、それを取り除いた。急に沁みて痛い。我慢できるが、なにか

我ながら受け答えが演出みたいに感じてきた。

以前、医者は専門バカで専門以外は誤診が多い、(特に僕は相性が悪い)と

いう話をしたが、膝のお皿が割れている、という話をしていた。看護士も

わかっているのかお追従か知らないが、見るからに3つ4つに凹んでいる、と。

それで足もCTを取る手配をする。こちらは天井を向いたままだから、信用して

しまい、足は松葉づえか、などと神妙なことを言った。

ところが整形外科の担当医が来て診ると、CTはキャンセルしてしまった。

レントゲンだけでいい、と。折れてはいない、もしかすると、小さなヒビがある

かもくらい。誰だよ、骨折だと言ったのは。

その整形外科医と男の医者が上から僕を覗き込んで、あいさつした時に

二人は頭がまだ若いのに、つるっパゲだった。眉がやや濃く、眼が小さくて

片方が眼鏡をかけている他は似ていた。  

「兄弟?ですか」と言ったら、看護士が笑っていた。違うそうだ。   

なにしろ二人の顔は上からのぞく形なので、一人は逆さま、もうひとりも

似たようなもので、逆さまから顔を見ると認知機能がよく働かないのを

知った。頭のギヤを外した後で、二人を見たら、明らかに男の医師の

ほうが若かった。年齢が識別できないのだ、逆さまだと。  

顔もより違いが見えたが、そこは兄弟でもおかしくはない。 

左ひざは骨は大丈夫だが、内出血していて、皿の下に血が溜まって

いるそうだ。自然に抜けるが、あまりに溜まるようなら抜くが、その処置は

痛いそうだ。

額には穴が開いて、まず麻酔注射を打った。これが打って数秒で感覚が

なくなるので、速いのに驚いた。それからは、今回唯一気持ち悪かった

ことで、傷口の砂をブラシでかき出す、と聞いたことだ。麻酔が効いている

ので痛くはないが、想像してしまい、気分が悪かった。頭蓋に到達している

と言っていたが、そうだろう。皮膚はうすい。 

額の傷口はホチキスで5,6回止めた。昔なら、5,6針縫った、という

ところか。 


子供のころからよくケガをしていた。20年も前だろうか、ケガではないが、

気管支喘息になったのを知らず、夜に大発作が初めてきたことがあった。

息を吸おうとすると気道が塞がれて息ができないのだ。当然、声も出せない。

下の階で寝ている家族を起こせない。行くこともできない。今、呼吸ができない

から。その数秒間は頭がこれ以上はない速度で回転した気がする。そこで

自分流にヨガの呼吸法を練習していたことを思い出した。長ーく少しずつ

鼻で息を吸って、口からまた少しずつ吐き出す、というやつ。(前に書いた)   

ともかくも少しでも息を強めに吸うと、気道がくっついて閉じてしまう。非常に

ゆっくり、わずかずつ息を吸う。あやうくパニックになるところだったが、助けを

呼ぶ暇がないのですぐに落ち着く必要があったが、それができた。だから、

ヨガも思い出すことができた。たぶん、1分以内の出来事だった。  

その呼吸法で発作が収まるまで50分があった。発作は寝ている時など

深夜が多いそうだ。呼吸が楽になった時、助かった、と思った。気持ちも

ほっとしたが、拷問のような限界の呼吸をもうしなくていいので、体が

肩から力が抜けた。

あの時も電話もかけられず、パニクったらダメだったろう。なぜか、助かる方法を

事前に練習していただけだ。救急車も間に合わなかったはずだ。  


今回のことをこの4日間考えていた。理由があるはずはない。原因は体重が

重すぎだ。身長からはギリギリ肥満の一歩手前だが、現状は上半身は自分が

思う以上に不安定で、少しの重心の傾きでよろめいてしまうぐらいの。

それって重症だ。気がつきたくなかっただけだ、知ってはいたが。   

それと、また生きのびてしまったことだが、死なない。この死なない、という

ことに自然に感慨がある。感動を喜ぶ。   

運がいいとは思えない。死に損なった時に助かるのが、嬉しいようないいこと

だろうか。僕には死地を潜り抜けた経験が普通の人より、ちょっと多い。  

なので運がいいと言える資格があると思えるのだが、僕の気持ちは違う。

運がいいなどと思えるようなら、それは危険で、それに愚かなことで僕には

それは自信過剰になる前提に過ぎないだろうし、物事を甘く見る前提にしか

ならないという気がする。  

僕は冒険が好きだ。冒険は危険そのものではなく、矛盾しているが、危険を  

いかに安全にしていくか、その不断の試みであり、チャレンジであると思って

いる。だからと言って、危険のない冒険というものも、ないだろう。今回も

僕はアドレナリンが放出されただけでなく、脳内麻薬によって痛みを忘れる

ことができた。家まで足を引きずって、ショック状態にも脳内出血とかクモ膜下

出血にも見舞われなかった。その中で「いつ死んでもいい」とか「自分は運が

いい」とか「××のおかげだ」とか思うことは、一瞬もなかった。感じたことも

なかった。そういう”時”を過ごした後に感想してみると、そんなものはどれも

”余計なことを考える暇があり過ぎ”、または”知らずに言う迷いごと”だ、としか

思えない。命の大切さ、尊さ、というものって書いたり、人に言ったりするもの

じゃない、と。そういうものに恐れ戦(おのの)かないそういう人って、ほんとう

を知らない。


とか言っても、海にころげ落ちる迂闊(うかつ)な僕が言っても、説得力がないの

だろうけれど。  


そうして、満身創痍の僕は病院を後にした。  

IMGP0004.JPG

これほどの大ケガは初めてなので、記念撮影を

お願いします、と言って頼んだ看護士さんの趣味は

写真だそうだ。(笑) 笑えた。

事故後、4日目。朝から額の傷の周りがかゆい。夕方には寝ていて

膝の周りがかゆくてかゆくて。こういう傷の場合、治り始めがかゆくなる。

自己治癒力も申し分なし!



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島で大事件 1. [事件]

島で大変な目に会った。それから回復しつつある。が、まだ何が起きたか、

わかっていないようだ。(実は今、わかったつもりなのだが、まだ書く段

階ではない)

現実に起きたことははっきりしているので、それは書くが、なにしろ初めての

(たぶん、スキーで直滑降で左足を軸にして回転し、翌朝には歩けなくなって

いた20代以降の。そう言えば、小学3年の時にもトラックのサイドミラーに

はねられ、3,4mはね飛ばされたこともあったな)大ケガなので、その日の

自分は興奮からとショック状態でアドレナリンでハイになった。何が起きたか?

岩場へ泳ぎに行って、そこから足を滑らせて、1m下?の岩に額から顔面を

打ち付け、すぐに左足の膝を打ち付け、バウンドして海に落ちたのだ。なので

ここは僕の記事ではなくて、息子か娘による「バカな父が亡くなりました」という

訃報であったはずなのだ(笑、だが笑ってもいけないような)

その前に、前日書いた記事があるので、のんびりしたそれから :-



島の家で今までの自分とは違っていると感じる。それは今回は

自意識が顕著で、自分を見つめる自分がいることである。   

島に来ると、さしたる知り合いもなく、ひとりになれるので大抵は  

自分にのめり込んで思う存分、無意識との交流を図ろうとする。  

今日も水道課とのトラブルがスムーズに片付いて、やっと風呂に  

入れたのだが、雑用のメモを取ってまもなく、廊下の掃除を始めた。  

今まで初日に(翌朝だが)掃除をはじめた覚えはない。掃除は優先順位

が低いのでなかなか手につかず、後回しでやっつけ仕事にしてしまうの

がいつもだったのだが、今日は雑巾がけまでしてしまった。

そうしていて、当たり前に暇で「何をしに来たか」、と今まで島で考える  

こともなかったことまで考え始めた。何をしに来たかぁー、・・・天井を

見上げるがごとく、我ながら変なことを考えると思いながら、宅急便で

今日届いた本が並んでいる棚を物色するが、段ボールに詰め込んだ時

の本への感興は蘇らない。その時のその本を読みたい理由は思い出すが、

どうしてそれを選んだのか、その感じが思い出せない。

それは必要なのだ。なぜなら、その感興の行く先に、またはそれが発生  

した時にどう根源的なものに関わっていたかが、大事だからだ。これは  

知的なことではない。忘れたものを思い出そうと、クンクン鼻を鳴らせる

ような感覚の作業だからだ。このことで思い出せば、これも不思議である  

そういう一部がありそうだ、と。ちらっとこれは思い付きになるが、なにか

人間を離脱して動物に近づこうとしている行動かな?と。  

動物行動学はローレンツが家畜や野生動物と分け隔てなく共同生活を  

しながら発見したことが、新しい学の道になった。その影響は個人で十分

にあると思っている。街中でも川の側で変な声がするので探すと、野生の  

大型の水鳥だったことがあり、そういうように声をかけられたのでは?と思う  

場面がいくつかある。多くはないので何とも言えないが、魚が人の想いに  

反応するぐらいだから(これは機会も種も数も多かった。百匹の魚が寄って

来たことも)、鳥もなにか言いたいことがあるのだろう、僕に。島の港でも

トンビに頭を軽く掴まれたことがあったし、彼らは彼らなりに僕が彼らと共通

の感覚を持っていると知っているのだろう、知らないのは僕(人間)のほうなの

だろう、と僕は考えている。   

思えばそういう事件はあまり(詳しくは)書いてこなかった。その延長に  

アフリカがあると思っていたので、そんなことは大したこととは思って

いなかったからだ。 野生の猛獣の間で暮らしていけたら!   


眠くなってきた。2日目(5日)はこんなところで。






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まだ島に着かない、初日 [初日]

W i f i の都合で、8日まではブログを開けない。今、高速艇に乗っているので  

この1時間少しがフリーW i f i を使えるチャンスなので、船内のTVがうるさいが、  

書いてみる。   

まだ湾内を出ないのか、巡洋艦が並行して走っている。天気は予報が反対に  

なり、7日までが雨が、6日までが晴れ模様の曇りになり、台風一過の後は

晴れるのかと思いきや、雨続きの曇りもようになりそうだ。ともかく、島に到着

する今日が晴れたのは気持ちがよい。明日も晴れるようで、気温も31℃になる

というから、泳いでもいいかな、と。

佐世保港に着くと、すぐに潮の香りがした。匂いは世界観が強い。それだけで  

海への情緒からいろいろな情報が思い起こされる。歴史は感情である、という  

表題の本があったようだが、歴史には虐げられたものの恨みがたまりやすく、  

感情は強く作用する。表題はあながち間違いではないが、それだけだ、とは   

ならないだろう。デートの交際中に聴いたポピュラーソングはほとんどの人が

自分の青春の曲として、(音を)忘れないだろう。匂いは出会って思い出すという

チャンスが少ないが、情景から情緒から幅広さと深さで、意外な世界観を

思い出させる。僕らの個人史ではそういう感覚による記憶が歴史として残る  

ので、日記などでも書かれている内容よりも、その時の文字の勢いや形で  

当時の気持ちが甦ったりする。単なるメモでも書きなぐった文字が書かれて

いない他の情報をも思い出させたりする。   

それらを考察として鑑みるならば、昔の歌集や唄などがどのように詠まれて  

いたのか、どんな発音だったかというのは、とても大事な情報だと思うのだが、  

なんともそれらを回復させるのは、古典芸能にその一部とヒントがあるのみで  

ほとんどは謎として消失してそのままだ。そしてそれらがわかったとしても、

その頃の人たちの自然や社会や人間への想いというものは、僕はその

わずかなヒントのような藁を掴んだだけで、わかりようもない全体への憧憬が

広がる経験をしている。それは人々の歴史へのあこがれを増長して、歴史の

ロマンとかに堕落してしまうのだろう。ひどいことに、そんな偉人は存在しな

かったという説で世間の耳目を集めようというエセモノの区別も実際に結着

はつけられないという事情も発生してしまい、今は考えられなくてもいつかは

歴史が書き替えられる可能性も出てくる。  

と書いている間に、島が見えてきた。   

次は8日以降に。 




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島へ出発前と 天気予報と知の本能 [本能]

島に行く日が迫ったが、いつものように宅急便も荷支度もまだだ。  

もう慣れているので、これでも余裕があると思っている。以前のように

深夜になって始めて、出発の2時間前だ、なんてことはない。    

前回の5月では不用意に(これもいつもだが・・)島で闇に深潜してみて、

驚くほどの不調になったが、弱くなったものだ。  

今回は次の目的があるので、できれば必要なことを経験したいものだが、

そんなに調子のいいことができるとは思えない。思えないからと言って

なんでもできるのが根底の仮説なのだから、その記録を更新したい

だけだ。   

これは脳の構造に関係しているのだろうか?   

脳はともかく普請中だ。元の家を次から次へと建て増しして、一度も

根底から新しい方式に作り替えたことがない。それで学者は脳はいい

加減な作りになってしまった、のによく機能していると感心している。    

脳はいい加減にできている、それが社会の方式とよく一致している

のはまったくおかしなことだ。(可笑、可怪)   

島では「孔子伝」に集中しようかと考えていたが、「フォーリン

アフェアーズ」(定期購読のみの雑誌)という外交関連の雑誌を読ん

でいて、人工知能の記事があって、その未来予測が混乱している=

いろいろな意見があって、総意を見ないので、以前に「自分=自我」

と「AI」との関連で考えたことがあったが、それをしっかり思い出せ

ないほど。自我はAIでは成立しないとの考えも、もう一度考え直す

必要があると感じた。以前のその結論の出どころも確認したいし。  

それに強く、AIに対する意見、その元々のコンピューターの親の

チューリングにも惹かれる。どうなるか、いつものようにその場

その場で決める。行ってみないと、実際になにをするのか、わから

ない。7日までは島は雨だそうだから、本読みには好都合だろう。  


島へ行くことには興味を失くしつつある。そして、失くした。   

ただのひとりの静けさを求められる場所になった。もしも借りた場合の

宿泊費が交通費になり替わっていると思えば、交通費もネックでは

ない。1か月いてもわずかな光熱費のみだ。   

自称(小値賀島役場公認?)、無人島(一人、船の定期便の都合だろう、

登録島民がいる。山屋だ)の野崎島についても思い出したい。できれば

予約を取ってもう一度出かけてもいいのだ。また、無人のプライベートの

ホワイトビーチなのだろうな。浅瀬にエイがごろごろいるが・・・。    

9月と言えば、またアゴ(トビウオ別称)の捕れる季節で、すさまじい風

だろう。


*島とはそのまま、長崎県の離島のことだ。長崎市より佐世保市の

ほうがよほど近い。対馬は北方にある。飽きた面もあるし、もっと詳しく

見たい面もある。プランではまだ行っていない南方面を訪れるつもりだ。

いろいろあるが、来年に。  


< 天気予報と 知の本能 >


天気予報がこれからもますます当たらなくなる、という話。  

これは寓話である。そのままで進む物語ではない。機械の

技術発達で社会変化は起こるので、予報の形さえこの先

変わるかもしれないのだから。   

天気予報が比較的当たっていた時代は去ってしまった。

毎年、史上初の気温とか数十年に一度の台風、50年に一度の

豪雨などが発生する時代になってしまっては、四季が順当に

おだやかに変化していたようには、天気は安定してくれない。

天気予報は今までは過去のデータに頼って、似たような天気図

から次に起こる天気をその翌日の天気図に求めていた。

それで当たっていたのだが、こうして天気が不順になってみると、

今までは単に過去のデータに追随していただけで、予報の

なんたるかは追及してこなかった、ということだ。追従してきた

から、これまでの方法が通用しなくなると、特にゲリラ豪雨など

は範囲を広げて予報せざるを得なくなる。大雨になるかも

しれない、という不確実な予報なのだから、考えように

よっては誰でもできる予測だ。明日は晴れか、雨か、曇りです、

とか言うのに似てなくもない。それが予報となってみれば、

当たらなくなったと感じるのは当然な感想だろう。

一日で翌日の晴れの予報が雨に変わるという予報さえ、ちらちら

見えるこの頃でもある。もう当てる自信はないが、予報はしなくては

ならず、可能性ばかりが目立つ予報となってしまう。   

前にも書いたが、オーストラリアだったかの気象学者が1年後の

天気を予測するシュミレーション(正しくはシミュレーション)で

コンピュータにデータを打ち込んでいたが、数値を0,0001間違え

て打ったので、修正しようとして、その日の天気を見た。確認して

数値を正しく打ち込んで、その日の天気を見て驚いた。データの

一部で、しかもたった1万分の1の数値の違いで1年後の天気は

まったく正反対になってしまった、という。その学者は賢明にも、

予想が何の意味もないのを認めて1年後の天気予測はやめて

しまったそうだ。それほど地球上の空気と水との予測は複雑で、

またその因果関係についても知らないことが多すぎるということ

らしい。   

僕はこの知る、を発展させた文明社会において、現代では「知ること」

が本能の一つと認定されてもいいように思う。食欲、性欲、睡眠欲という

動物行動からの生まれつきの情動を本能ということが多いが、定義は

混乱していて、それは学問分野が多すぎて混乱しているからだが、

これといった共通の定義はない。

ともかくも、その本能に知りたい欲として、知求本能を加えてもいいの

では、と思う。それが強烈に中心になって人生を推し進めてゆくという

例は多いからだ。飲まず、食わず、眠らずに資料を読み、考え、研究

するというそれ以外に楽しみがないような学究の徒も古今に多い。

明らかに他の本能を上回っているではないか。

だからと言ってすべての学究の徒が品行方正というわけではなく、  

誤った考えからある理論を勝手な方向へ結び付けたり、持って

行ったりしてしまう人も見かける。  

どちらにしても知の操作が飯より女性より、好きなのだ。疲れるから

睡眠は摂るだろうけれど。  

知が本能になっているならば、これは高尚な趣味いうばかりのもの

ではなくなる。飯を食ったり、眠ったりが高尚な趣味ではないように

体がそういう行動に向かうからだ。そういう止むにやまれぬ生理を

示している。そういう人にとっては、人生を教えられたり、感動させ

られたりしたという経験が、知識を通してあるはずだ。日常では

TV(教養?)番組・講座などの雑誌・学術や人生論風の本・という

脳への刺激がたまらなかったはずだ。だから、それは知に傾いている。

20歳までに粗方、30までには職業上のノウハウ本を含まないで、

本からの知識は吸収してしまえる。社会に出てからは別な行動様式

が必要だと会社などで感じたはずだ。そして、それはそこにいる現役

の(過去の)同僚のマネをすることから、今に至っては日常の雑な忙しさ

から、新しい行動様式とかの必要は忘れ去られる、または忘れ去ら

れたのだ。

体の動きが職業になる能や歌舞伎役者などの人たちは、言葉少ない

が、知に傾かないある種の体感覚から得難い経験を体得している。

そこでは主に言葉はもっぱら比喩として使われて、直接の定義を

しようとする人はまずいない。つまり、言葉ではない世界を体得して

いるからだろう。しているからこそ、芸の奥が深いのを感じる。


天気でもある地方の年寄りの話が印象にある。彼はその村で  

観天望気をするのが得意で、空を見てはこれからの天気を占ったが、

一度も外したことがない、という噂だ。この話はありそうだ。毎日毎日

山からの雲の形や流れを見ていて、そこから全体が予測できる人が

いるのは事実だから。彼はその村の天気の膨大なデータを直感で

引っ張り出すことができたのだろう。また、湿度の感触がわかったの

だろう。僕も山を登っていたころは、天気の異変は雨のにおいで

気づくことができた。どうしてわかるのか、というのが面白いところで

気がつくとわかっていた、という感じで頭など使っていないのだ。

もうそういう人は観天望気も芸のうちなのだろう。   

僕らは年を取ると、体に引きずられて老化してゆくので、億劫(おっくう)

さと今までの取り得た知の方法だけでいっぱいで、それを守ろうとする。

今更新しい方法などごめんだ、というわけだ。かくして、本人が思った

以上に固くなってゆく。体も頭もコチコチに。なればなるほど気がつかない。

なるほど今の自分がそうなのか、と思える人は幸運の部類だろう。

アイデンティティ(自分らしさの勘違い)が必要なのは「自分」という「知」の

本能ゆえなのだろう。どうして君は自分をなにかに結び付けて、保証したり

存在を確かめなければならないのだろう?
  

言葉のない分野で生きている人は多くいるが、なにしろ伝える手段と

しての便利な言葉を使いづらいものなので、自然に以心伝心に

なってしまう。だから、直接会わないと、なにもわからない。今、伝える

べきが伝わりにくいのは、そういう事情もあるのだろう。TVやネットでは

ダメなのだ。(これ、覚えておいて)ほぼ、絶滅危惧種だから。



天気予報がこれからどれほど精密なデータを世界から取り寄せることが

できた(これはいずれにしても必要)としても、気象に即した考え方と

変化率を確立して、その地球の地域ごとの細分則から分析を行わなけ

れば、天気予報の未来は暗い。晴れの予報は当分の間、出ないだろう。

まず、発想を変えよう。

ニュートンがコペルニクスやケプラー、ガリレオの考えや天体観測、その他

の天体運則資料からプリンキピアを書いて導き出したようなものだろう、

天気の予測をより可能にするのは。

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無法地帯でダンス [無法地帯]

無法地帯について考える機会があった。それは昨年のブログを読んでいて、

突然、思い出した。僕らの無法地帯というものがあって、それは信号の

故障で突如としてその交差点が、無信号になってしまうことでも起こる。

座間であった。246号線の交差点で信号が無灯になってしまった。

僕は家を出て、おかしな具合になっている交差点に気づいた。なんと

交差点は車で渋滞していたが、それは246号線だけでなく、そこに交わる

道路からも車が侵入して、つまり交差点の全方向から車が入ってきて

いたのだ。そんなの中心付近で動けなくなって、クラクション鳴らして

パニック状態になるでしょ、と思うのだが、日本人である、すごい! 

縦からも横からも車が動いているにもかかわらず、中心付近では少し

ずつ交差しながら、動いている。横に1台行くと、今度は縦から1台割って

入って、進む。これ交通の渋滞に我慢強くさせられた、秩序好きの日本人

ならではの芸当だろう。この大混雑でも、どの車も少しずつ進んでは

止まる、を繰り返して、どの車も交差点を通過している。外国人が

見たら、奇跡だと言うだろう。

しかし、歩行者はどうなるのだ。僕は東南アジアでの信号のない道路を

それは自転車と車がひっきりなしに通るにぎやかな通りだが、そこを渡った

時を思い出した。僕は観察して、人が通れる隙間はないにしても、自転車

などは慣れていて、人が渡ろうとすると、ぶつかる寸前で停まるのだ。

が、実際にそれをやるのは、慣れていないので勇気がいる。こんなことでも

自転車は止まるのだ、という信じる覚悟がいるのに驚いた。 

そんなわけで僕は比較的スムーズにその大渋滞の中に入って行くことができた。

この時、交差点は完全に無法地帯、信号のない状態という点で、そうだったのだが、

この無法地帯でもそれなりに物事はすすむのだ、と改めて思った。

これが人間のカテゴリー内の無法地帯であって、ほんとうのものは自然の中は

すべて無法地帯だろう。海の中や、深海には信号はないし、法律を知っている

生物は人間を除いて泳いでいないだろう。   

ジャングルならもっとわかりやすい。潜水具をつける必要もなく、たちまち

命の危険を感じるだろうから。

アフリカの無法地帯は、広大な自然保護区がそれにあたるだろう。僕は無人島

とか無法地帯は好きなほうだ。サバンナはあまり雨が降らない。ライオンや

チータもいる。身を守ることは、よくできないだろう。どうやって生き残れる

だろうか。最後にダンスを踊るとしたら、そんな地ではないか、と。僕は

夢見る。


*過去のブログはほぼ見ない。見ると、過去のほうがよく書かれている気が

して気が滅入る。交差点で車に注意して歩きながら、まさに無法地帯だと

感じるのは、スリリングで楽しかった。なにか事件があると野次馬が集まる

のも同じ心理が底にありそうだ。人は社会全体が壊れてしまうのは御免だが、

少し壊れるのを見るのは、ゲームのように自分が死にはしないので、ルール

無視のストレス解消になるのだろう。
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時間よ、止まれ 命 [矢沢]

人間、なくて七癖という言葉があるが、この頃思うのは

人は、なくて七信仰、ということ。まともに見える人間でも

変わった癖は七つはある。その意味で、人は部分部分で

七つは奇妙な信仰や、独自な信仰に頼っている。 

もちろん、7以上ということで、7つに決まっているのでは

ないが ・・。   

以前書いたと思うが、どう書いたかも忘れてしまった。いずれ

似たように書くと思うが、変わったことは性格的・性質で3つは

ある。

それはひとつは、”お天気屋”で、気持ちの変化でころころ言う

ことすることが変わる。ふたつは”予期しない変化”だ。なんの

前触れもなく、方針を変更したり、別のことをしたり、周囲が

驚く行動を取る。

お天気屋は気持ちの変化で、その因は読めるが、突然の行動、

これは予想外なので、まったく読めない。意味のないことを言ったり

したりもする。

三つめは病気の初期や手前である。これには2種類あって、

ひとつは認知症の初期でまだらボケをいう。本人が頭がしっかり

している時間帯と、認識があいまいになる時間帯が交代で

現れる。この頃は、まだ少し頭が働くので、自分でもおかしいと

気づくので、周囲に注意されると、うまくごまかすことができる。

「少しボケてきたかな」とか言ってのける。そのうちに自分は

頭がバカになってきた、とか言い出す。そういう自覚を

隠さなくなったら、ボケの進行がそれからは速くなる。

もうひとつはストレスから神経が疲れ、限界に来るとそこで

糸が切れたようになってしまう。今までふつうにできていたことが

できなくなってしまう。近年では、真面目で融通の利かないような

人が過労を重ねてなる、と言われてきたが、現在では誰でも

そうなってしまう症候群に分類されている。

リーダー格の明るい性格の女性が、ある朝会社に行けない自分

に気づく。頭は会社に行かなければ、と思うのだが、意に反して

体が言うことを聞かない。玄関で何時間も立ちっぱなしになること

もある。これは僕は限界に来た自分を守るための自閉症と同じ

症状ではないかと、考える。自分を傷つけまいと、意に反して

引きこもりになるのと近似。

つまり、現在では神経症や精神疾患、認知症などもなくて七癖

くらいに珍しい性質ではなくなったということだ。


さて、前置きが長くなった。僕の七癖がどこらあたりか、数えて

みたことはないが、多いはずだ。そうしてその主たる特徴はとても

統一している。それは言い表せる、人と同じことをしたくない、当たり前

が嫌い、(1番ではなく)独自でありたい、というかなり強力な欲求だ。

ふつう、意志と感情は別々の傾向をもち、外ではこういう性格だが、

家庭では意外な側面をみせる、という。ところが、僕の場合は意志も

感情もそういう型破りな傾向で一致していた。だから、僕の人生は

決まっていたようなものだ。方向性がひとつに突出していたので、

平凡・尋常ではあり得なかった。数奇な、というやつ。  

それは渋滞している道路での行動のようなもので、渋滞に我慢でき

ない。必ず、わき道に入ってしまう。脱出路を探すのだが、大抵は

袋小路にはまったりして、また同じ渋滞路に戻ってきて、その分

時間を無駄にしてしまうのだが、時として脱出路を見つける。

すると、また渋滞時にはわき道に入ってしまうのだ。皆と同じ

道に並ぶのは、ほぼ生理的に嫌なのだ。それなら、たとえ

無駄になっても、わき道の未知を探索していたほうが、気が楽

なのだ。渋滞に並んでいたほうが、実際には抜け道を探すよりも

早く進める、と知っても同じなのだ。わき道から、渋滞している

車の列をしり目に見ているほうが、性に合う。そういう性質なのだ。

人生もそういうように進んだ。

(明治の学者、寺田寅彦は学者は頭がいいのはもちろんだが、先行の

学者がもう調べたところを調べなおすという、バカなことをして

隠れた大発見を導くという、バカでもなければならない、と言った)


それともうひとつ自由にならないのは、生きる関係の環境と人だ。

それは僕の心の外側の現実の部分だ。僕には選べないし、誰にも

選べないのだが、僕はそういう方向へいつも押し流された。これは

強調や比喩ではなく、決められているかのように、僕には苦しみ・

悲しみに関わる、(インドのように最底辺ではないが)底辺の人々、

それは暮らしに苦しむ人、病気に苦しむ人、人間に苦しむ人、

であり、また反社会的な人でもあった。  

それらは少なからず、重複していた。特に反社会的な(団体や)人とは、

よく話すことになった。傷害で前科20犯の男とは、暴力団とかヤクザ

は根底にこれ、恐ろしいほどの執念がある、というのがわかる。 

この間、若い知人と話した時に、ヤクザと変なことになりそうになったら、

ともかく走れ、まずひとりならなりふり構わず逃げることだと教えた。 

関りをもつと、家族や親しい人が巻き込まれてしまうことが多く、そう

なってからでは遅い。借金を背負わされて、恋人が風俗店に通わされ

てしまうとかは、序の口だから。  

もう一人銃刀法違反で逮捕歴のある、僕の女房と同い年のおばはんは

麻薬を売りさばいたのがばれたが、警察に踏み込まれた家に麻薬はなく、

銃刀法違反だけで済んだのでよかった、と言っていた。このおばはんの

おかげで、その当時勤めていた、月2回だが、知的障害者のホームの

実態・虐待や世話人の横領などの実態を聞くことができた。(おばはんも

世話人をしていて、やくざだったが唯一まともな世話人だった)聞いて

みなければ、すぐ近くのあの世話人が、そしてあの人も、とは納得でき

なかっただろう。そういう知的障害者の世話には心あたたかい博愛な人が

している、というイメージはまったく信じられなくなる。この問題は刑務所

や少年院など内部、外部に問題を抱えていて複雑な面があり、対処できない

部分もありそうだ。  

反社会的な人も、障害者も驚くことに、普通な人であることだ。同じ時間

を過ごしてみなければ、精神疾患は軽い者が多く、まったくどこが病気

なのか、わからない。が、知的障害者は原因が物理的なのか、ともかく

症状が一定なので「おかしい」とわかりやすい人も多い。 

僕はなぜか、そういう環境に縁があって、そういう病気に一時かかる。

軽いが、似た症状を経験する。それで彼らの孤独と苦しみが自分の

経験として理解できる。だから、よく話を聞く。そのうちには彼らの

脳の回路を感じるようになり、それがあちこちで一方通行なのを

感じるようになるのだ。そこは曲がってみてもいいのでは、と思う

ところでも、彼らは曲がれない。同じ突き当りに突き当たって、また

初めの話か初めの質問にもどってくるのだ。ある知的障害者の

質問は4つしかなく、それを2時間繰り返した! 

どうして聞いていられたか? ぼくもその疑問に考えたが、どうやら

それは家系にあるようだ。直接の母は戦後、口べらしで芸子に売られ

た人だったし、父は遊び人だった。ところが祖父は医者だった。

祖父とは赤子の時に会ったきりで、疎遠だったので記憶がなく、

還暦を過ぎ、クリニックで患者の話を聞くようになるまでは、自分の

そういう医者っぽい性質に関心がなかった。

僕の祖父はひどい貧乏医者で、長男が運動靴に穴があいても、新しい

ズックを買い与えることができなかった。ともかくも、患者に寄り添う

のになんの訓練の前提もなく、すんなりできたのは、この祖父の

遺伝子だと思うようになった。

僕はそういう病気の症状に悩まされたが、すべて自分で解決する道

を選んだのは、そういう僕の独自の道を探りたい欲求と、祖父の

医者としての遺伝子があったからだろう。  


そして、ここまでが二番目の前置きのようなものだ。

僕は今年の残りを、今後は精神の戦いから自分を解放しようか、

それについて考え、準備をしようとしてこれまでやって来た。自分の

足枷はある。それに逆らわず、その方向で精神的には成功を収めて

きた。因果の発見、死の認識、死の領域での愛の認知、それは

極度な緊張をともなったが、楽しい精神的冒険だった。それで次は

現実に向かない僕の神経で自分のやりたいことをやって、今までは

すべて神経の疾患で、起業した会社もなにもできずに1年でたたむ、

という事態に追い込まれたが、それを転換できないか、と考えるよう

になった。それには当然、直球は無理だろうから、それなりの工夫が

必要だろう。

まだ、これから決定項を考えるので、何とも言えないが、それに

これまでに書いたことでも、わかったことの半分も言えていないので、

その資料も3000冊以上あるし、なんともひとりでは’なんとも’ならない

事態だろう。

さて、ボランティアでも募集するか?なんか「注文の多い料理店」

(宮沢賢治)みたいになりそうだが ・・・。

人を食うわけではない(笑)。


*題の「時間よ、止まれ、命」は矢沢永吉の「時間よとまれ」の歌詞から

 借りた。  



                                    7.25
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あとがき「快方とはそんな空」 [あとがき]

*世界を理解することは、そのはじめが素晴らしい。  

 理解し終わることは、厳密にはないが、全体が見えることはある。はじまることは

 終わることだが、それが完結するなら、そこからはまた新しいはじまりになる。  

 記憶に残った世界が、そのまま心につながり、動こうとしないのならば、新しく

 はじまることもない。    

 これは選択の問題に見えるかもしれないが、自分の資質と運命のことで、その場

 に立てば、すでにそれが決せられているのを知る。その時までは、わかることが

 ない、それが僕らというものだ。自由とか自由意志というのは、僕には未だ、

 冗談に思える。僕は、しかし、自由な気分はいつも手に入れようとしている。

 自在感というのも夢のことなのだろう。ところが、それには手をつけることが

 できる。  

 そういう心の峡谷から現実の谷間という、わかるようでわからない綱渡りがある

 のは事実だ。直截の夢が叶うというのは、まやかしだが、現実に形を変える

 (または整える)というのは、ほんとうだ。この不安定になってしまう表現の、

 当の経験を目の当たりにしてほしい。

 百聞は一見に如かず、と大昔の人も言ったではないか。
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快方とはそんな空 [空]

ここに文字を 書いてゆく  


そうしようとして  いつものように  


書くことはない  その感じに  そう書く  


気持ちが こぼれる曲を 聴く   


そうすると  感情が重ねられて  なにか  


書ける  または  そんな気がする   


その気持ちに 重ね合わせるから  言葉が  


出てくる  でも、思うんだが  


どうもそれだけじゃない  理由がある  


知的な 話が  信じられなくなっているんじゃないか、と  


気持ちなら  その時の 一時的なものだとしても  


少なくとも  反論とか  批判とかは  浮かばない  


そうして 矛盾を感じて  賛成と反対を  


子犬のように  自分のしっぽを 追いかけて  


小回りしなくて  すむ    


矛盾した言い方に 気を  使わない    



僕は  考えてみる それでも        


これまでしてきたのは  僕の問題を  


それは僕に起こった  事件をきっかけにして  


そこから  起こる疑問を  解決しようと  


してきたこと   


それで  それは  かなり  必死で    


そこから 一生懸命に  移った     


60年という  中国での一周期だろうか    


一度  休むつもりで  


一度  まとめるつもりで   


抜けてみると  楽になってしまった   


そして  体力・気力で 元には戻れない   


そんな気に させられている   


気の抜けることのなかった  あのむなしさは  


今は 感じることができない   


そして  ここにいる    


すべてが  ここにいることに なった  


これをどう表現していいか  正確に わからない  


いや、それどころか  これが どういうことなのか  


わかってはいない気さえ  している   


玄関のドアを 開けようとして  やや 大きい蜂が  


植木の間を  飛んでいた   


いつものように  無視して  そうしたが   


違った  すぐに 目を蜂に  飛ぶ様子に  


感じが 違う   


この危険な、と言われる 蜂に  


妙に 愛情を 感じた   


愛でる、という感じ  


それは 花を愛でる、と同じ    


飛ぶ様子が  少し 愛おしい   


感じるのは  どうして  いつもは感じない  


蜂への それを感じたのだろう? という疑問だが   


疑問にもならないのも  感じた   


休みなのだ  


どんな 心の内容も  取りに行くのは   


嫌なのだろう    


それとも  強い生きる動機を  失ったか  


そうして  疑問を掘り起こすのも  かったるい   


どうでも いいじゃないという  倦怠感   


そうしながら  重さは 感じない  


軽い    軽い、 軽い    


むなしさも  軽いのが  あるようだ   


軽い  お、軽い  軽い  


今は  自由さも  いらない   


愛もいらない   この休息は   


変に 透明だ   


変に  かろやか   


平坦で  平和   ただ  平凡でないのは   


空気が きれいに  はりつめているから、だろうか   


なにも  強調する  それがいらない    


ただ  歌いたい歌を   歌えばいい   


それが  快方  という  


空を  映している   



もう 言葉に 頼らなくても  いいみたいだ  


いい気分   


ズボンの 小さな裂け目から  ちょっと  


足が突っ張って  破けてしまう   


ふ と 見て    


ふ と 思う  


それでいいではないか   


破れようが  破れまいが  


それが  なんだろう?   


それが ・・・   


もう こうしていなくて  いいんだが  


書くことには  ソフトな充実感が  ある  


それが  続けることを  促す  


いい演奏を  続けるような 具合に   


そんな気分に  なれる   


そういう点では  得をしている   


ピアノを 弾くように   


キーボードを  そうしている   


心の キーを叩くように  


そう       


これは  演奏なんだ    


即興で    


なにも すがらなくていい   


あるものは  あるから   


ないものは  ないから   


カラー    


クール   


コングラッチュ  エイション   


インストゥル メンタル   


アッ アッ アッ   アッアッアッ~ア ア Yaア  


アッアッアッ~ ア ア Yaア    



やさしさが  悲しさとは   


涼しい   


暑さの しずく  


それが  なに?  


いつか また   フィー、fee  


明日 あ  


ユニ ユニ   


うすい もやを  明け方に  


突き抜けてゆく   


なにか   


本まで  読みたくなって  


オープン、  


名前を 呼ぶのは   


久しい    


ダムン、  スカイ   


カラー、  カラーヴィ  ニュー  


見て  


見て   見て   



思い出すんだ  


何のことだろうと 思うだろうけれど  


・・・・・   


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夏は休みを 、 ん・H・か [休日]

夏休みの予告をこちらでは忘れていたようだ。  

たぶん、ストレスで神経疲労に来ている。そこから腰痛(運動不足もある)と 

たまに胃痛。猛暑でだるいのも上乗せされている感じ。  

今月20日から来月まで、ほぼ1か月の夏休みを取ることができた。 

9月は4日から島へ行って、台風の影響を確認。その他。  

だいぶ疲れてしまって、ブログ訪問はできていない。9月までには  

なんとか再開したい。 ともかく、よく寝るし、眠る。  

よろしく。  生きてれば・・(笑)


<ん・H・か>  

NHKのニュースをチラ見したら、驚いた。昭和天皇の資料から、彼が

再軍備・憲法改正を考えていた、という報告だ。軍閥は嫌っていたというが、

300時間だかのノート資料からどうして、そこだけを浮かべ、あたかも

憲法改正を促すような報道をするのか、まったく解せない。300時間も

話したのなら、もっと取り上げるべきテーマもあったろうに、終戦記念の

時期をわきまえず、報道に及んだことにNHKの真意を疑い、政府との

癒着を疑う。そう思いません?

学者がどういう文脈があって言ったのか、が大事だと述べていたが、その

とおりで、どういう意図があったのかは、前後の文脈を加えて判断しなくては

ならないのだが、そんなことはまったくおかまいなしなのだ。

N国党というのは、もっと深くそこらあたりにメスを入れるべきではないか、と。

思う、この夏の暑さかな。
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